こんにちは、橘 あかりです。このウェブマガジンでは、日々の何気ない瞬間に潜む「手触り」や「余白」を言語化し、心地よい体験のヒントをお届けしています。
効率化の果てに感じる違和感
生成AIの進化により、私たちは短い指示を出すだけで、あっという間に望む結果を手に入れられるようになりました。最初はまるで魔法のように感じられたものの、日常のツールとして使い続けるうちに、その感動は少しずつ薄れていきます。不思議なことに、自分で直接手を動かす機会が減るにつれて、「ここが少し違う」「もっとこうしてほしい」と、AIの導き出した成果物に対する細かな不満ばかりが目につくようになってきました。
そんな折、ある晴れた日の朝に、ふと思い立って棚の奥から古い手挽きのコーヒーミルを引っ張り出してみました。ゴリゴリと硬い豆を挽き、お湯の温度に気を配りながら、ゆっくりと時間をかけてコーヒーを淹れる。決して効率的とは言えませんが、部屋に広がる香りと共に、何とも言えない深い満足感が胸を満たしていくのを感じたのです。

労働と喜びを結ぶアフォーダンス
この小さな出来事とテクノロジーへの不満のコントラストを考えたとき、人間という生き物が本来持っている「労働に対する喜び」の存在に気づかされました。私たちは、自らの身体を使って環境に働きかけ、何かを作り出す過程そのものに満足感を覚えるようアフォーダンスされているのではないでしょうか。
自分で試行錯誤しながら手を動かして作り上げたものは、たとえ出来上がりが不格好であっても、特別な愛着が湧くものです。そこには、効率や完成度という指標だけでは測りきれない、確かな手触りが存在します。手間ひまをかけるという行為そのものが、作り手と対象との間に豊かな文脈を築き上げているのです。

不器用な余白を残すこと
すべてが瞬時に、そして完璧に最適化されていくこれからの時代。だからこそ私たちは、あえて非効率な余白を残し、自らの手で不器用に作り上げる体験へと回帰していくのだと思います。テクノロジーが私たちの代わりに多くの作業をこなしてくれるようになったからこそ、私たちは再び「自分の手で触れることの心地よさ」を見つめ直す機会を与えられているのでしょう。
効率の波に流されそうになる時こそ、少しだけ立ち止まって、自分自身の身体を通じた感覚に耳を傾けてみる。そんなささやかな時間が、日々の暮らしに温かなグラデーションをもたらしてくれるはずです。
「手間」を省くことは必ずしも豊かさには直結せず、自分の手を動かすという不器用な余白の中にこそ、対象への深い愛着を育むデザインの種が隠されているのだと気づかされました。
橘 あかり | 日常の解像度を上げるUXクリエイター
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